不要なルールは作らない
何か問題が起きた時の解決方法として、もしくは将来の起こりうるリスクの対策として「新しいルールや決め事を作るのはどうか」という議論になることがある。プロダクト開発の進め方やチーム体制を新しくするような時も、新しいルールを作りにいくような議論を自分からすることがよくある。
そういう時は「そのルールは本当に必要?不要では?」と、自分自身の考えも含めて、できるだけ疑ってみることにしている。
ルールを作ることによるメリットはもちろんある。一方で、ルールが増えることで、個人やチームの思考や行動、判断に制約がかかる。自由で大胆で創造的な、これまでの前例にとらわれないアイデアや発想が生まれることを邪魔してしまうことがある。機敏で高速な行動がしづらくなる側面もある。
自分が今いるスタートアップにおけるプロダクト開発の環境では、ルールがあることによるメリットよりも、デメリットをどう回避できるかが大事だと考えている。不確実な環境においては、個人やチームの創造的なアイデアやアウトプットをもとに、どれだけ学習のサイクルを生み出せるかが重要だから。
ルールを作るのは簡単だけど、一度作ると取り除くのは難しい。ほっとくと惰性で残り続けやすいし、形骸化してしまって、暗黙的にみんなの頭の中に足枷として残り続けてるような状態になってしまうと、見えない状態になってしまうのでとても厄介。ルールを取り除く議論は、ルールの存在が当たり前になった環境で、それがない世界に戻る不安や恐怖との戦いによくなる。だから、新しいルールを作るのにはとても慎重になる。
「不要なルールは作らない」、それは当たり前と言えばそうなのだけど、実際のところ「不要」かどうかの判断は難しい。
実際に問題が起きる前の「リスク」についてルールを作ろうとしているときは要注意ポイント。リスクに対して「回避」「軽減」「転嫁」「許容」のような方針を決めるときに、絶対に「回避」や「軽減」しなきゃって思い込んでないか。リスクが顕在化して問題が起きても、その時に対処すればいいんじゃないか。自分や周囲のみんなを信じて任せることはできないか。そういう発想が必要。
実際に問題が起きた時の解決策としてルールを作ろうとしている時も要注意ポイント。個別事象だったり、たまたま起きた問題を、過度に汎用的な問題として捉えて、広すぎるルールを作ろうとしていないか。個別事象は個別事象として解決するべき。再発防止策を検討・実施することも必要だけれども、類似事象が3回起きるまでは我慢してもいいのではないか。
そういう「不要では?」チェックポイントを全部通過して、過去のみんなの経験則も含めて「これはルール化したおいた方がいいぞ」というものだけをルールにする。例えば、リスクが顕在化した時の影響が大きすぎたり、不可逆な変化を起こしてしまいかねないときは、ルールで防げるならルールを作った方がいい。流石にそれはプロダクト開発において「原理」「原則」でしょ、というものはルールにしてもいい。それが必要なルールということ。
必要最低限のルールや仕組みに守られた状態で、基本的は個人やチームが強く信頼され、大きな裁量を持って、過度に制約に縛られることなく、自由にアイデアを形にしたり行動に移したりがしやすい状況が作れたらって思う。不確実な環境で、たくさんの探索が必要な領域におけるプロダクト開発では、それがとても重要だと考えている。
自分自身も周りの人もできるだけ信頼して、その結果身軽でいたい。
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