「たたき」のドキュメントを書くときに、「これで決めに行く」と言う意識をできるだけ込められるといいなと、と言う話。
仕事で何かしら考えていることや、技術的な意思決定の内容を言語化するときに、まず最初は「たたき」のドキュメントを書くことが多い。「たたき」のドキュメントは以下のようなもの。
- 完成度が30%から70%くらいのもの
- 全体の構造(アウトライン)は言語化できているが、実現方法の詳細の解像度が少し荒い
- エッジケースも含めて網羅的に検討しきれてない部分がある
- ドキュメントのタイトルに「WIP」のようなラベルをつけたりする
「たたき」を書くことで、自分が考えていることによって「どの方向に進むのか(進みたいのか)」を示すことができる。
「たたき」を書くのにそこまで時間はかからない。70%の完成度のものを作るために30%の時間がかかる、残りの30%を埋めるために70%の時間がかかるような感じ。
「たたき」の段階のドキュメントを、チームメンバーやレビュワーに共有することで、これから進む方向性について誤りや懸念、検討漏れががないか、早い段階でフィードバックや議論を行いながら検証することができる。
結果として、方向性がそもそも間違っているのに、その先の詳細検討にめちゃくちゃ時間をかけてしまい、結果大きく後戻りをしてしまう」みたいなことが起きるリスクを軽減することができる。
一通り「たたき」を使って議論を重ねた後、方針が問題ないと判断できた場合、残りの検討事項についても考え言語化した上に進む。その後は、正式に「決めに行く」ための議論をする段階に進むことになる。
いざ「決めに行く」ための議論をしてみると、「たたき」を共有したときに出てこなかった意見が出てきたり議論が起きたりすることがある。それは当然で、そういった議論が起きることはすごくいいこと。しっかりとしたレビュー体制が機能していることの表れでもある。
でも、時には「たたき」で特に異論がでず、ある程度合意できていたはずの「どの方向に進むのか」という観点に関して、それを覆しかねないような意見が出てくることがある。「本当にこの方針で進めるなら、これも考えないといけないのでは」「やっぱりこれはリスクでは」みたいな。
これはしっかりとしたレビュー体制が機能していることの表れだし、ドキュメントを介して意思決定に関して適切な議論も起きているので大きな問題ではない。
でも、そのためにまた「どの方向に進むのか」を検討し直す必要があり、これは一種の手戻りでもある。自分もたまにこういう状況を起こしてしまうのだけれど、できるだけ避けられるようになりたい。
一つ前の記事「意思決定をする時は「まず、自分で決める」という意識を持とう」にも書いた内容と似ているけど、「たたき」を書くときもそれを周囲の人に共有するときも、「自分で決める」「決めに行く」と言うスタンスと、それを支える思考の量と質(=考え抜くこと)が大事。
例えば、「たたき」を周囲の人たちに共有するときに、
「たたきを書きました!レビューお願いします!」
と伝えるのと、
「たたきを書きました!(めっちゃ考えたので)問題なければこれで進めます!レビューお願いします!」
と伝えるのとでは、レビュワーにとっての受け取り方も変わってくる。
レビュワーとしても、
「お、決めに来てるな。ん、でも、もし本当にこのまま進めるのとリスクがあるし、進めるためには別の観点も考える必要があるぞ」
みたいな感じで、相手が「真剣に決めに来てる」からこそ生まれる発想やフィードバックがあるはず。
「たたき」を書いて共有し、それを元に議論することはとても良いことだし、物事を前に進めるために必要なこと。「たたき」を書いた人が一番偉い、と言う言葉もあるけど、それは本当にそうだと思う。
ただ、その先にはその内容を「正式に決める」ステップが必ず存在して、それを乗り越える必要がある。でないと目的は達成できない。
「たたき」を書いて満足せず、次の「決めに行く」ための行動にできるだけすぐ移りたい。もっと言うと、「たたき」を書く段階で、「これで決めに行く」と言う意思を込めて、今ある情報と使える時間を可能な限り使って考え抜いて、それを周囲の人たちに共有したい。
自分の行動を振り返ると、それができてない、やりきれてないことも多々あった。
そこをしっかりやることで、「たたき」の質をも上がっていき、迅速に物事に関して議論と意思決定しながら、どんどん前に進んでいけるんじゃないかな。