個人の頑張りだけじゃなくて、それを支える・促す環境を先に整えておくことが大事だという話。
昨日、4 年ほど前に自分が書いた以下のブログ記事をたまたま目にしました。自分で書いたものなのですが、読んでいてなんだかすごく勇気づけられました。
書いていることは、「目の前の Issue (課題)を解くときに、ゴール(完了条件)が 100%だとして、それを超える 120%くらいのアウトプットを常々出せるように心がけてくといいよ。着実に自分自身を成長させることができるよ。」という内容でした。
勇気づけられると同時に、この記事を書いてから 4 年経った現在、自分が少し違った視点で考えられるようになってることにも気づきました。
自分自身の成長も大事だけど、もっと重要なのは会社や事業、プロダクトのミッションの達成に向けて、正しく着実に進んでいくことだと思えるようになりました。
そのために、目の前の Issue を良い機会として活用し、できるだけ大きく解く。本質的に解く。局所最適から、なるべく全体最適に近づけるように解く。それを愚直に繰り返すことが大事です。。(似たようなことを、つい先日のブログ記事でも書いてました。このあたりのテーマがマイブームなのかもしれません。)
ですが、目の前の Issue を大きく解くって、そんなに簡単なことじゃありません。Issue をそのまま表面的に捉えてしまって、小さく解いてしまったり、できるだけさっと楽して解こうとしたりしがちです。これはその人に問題があるのではなく、そういった環境要因や重力のようなものが存在しているからこそそうなります。
目の前の Issue を大きく解くには、そのための環境が必要です。
例えば、それを良しとするような文化が組織には必要です。Issue を大きく解こうとすると、そのまま解くよりもそれなりに時間がかかります。大きく解けるまでは、わかりやすい達成感もなく、他人からの承認欲求も満たせないかもしれません。
そういった状況でも、自分自身も、周囲の人も含めて「それでいいんだ。正しいことをやってるんだ」と認めて、我慢して、信じて進む、サポートできるような文化や雰囲気が組織にあるといいなと思います。
また、大きく解くために必要な仕組みやシステムが、環境としてあらかじめ整っていると良いかと思います。例えば、「プロダクトの不具合を修正する」という Issue を大きく解こうしたとき、以下のようなことを考えます。
- (A) 類似の不具合が存在しないか横断的に確認して、合わせて修正しちゃおう。
- (B) 再発防止のために、類似の不具合も含めて再現するテストコードを書いて、CI で検知できるようにしよう
- (C) そもそもこの不具合が発生する仕様や機能のあり方からみなおそう。
このうち(B)の方法で Issue を解こうとしたときに、もし CI 自体やテストコードを書いて実行する仕組みが存在しないと、その仕組み自体をつくるところから始める必要がでてきます。。でも、そういった状況に直面すると「一旦目の前の不具合を修正して Issue は解決したことにしよう」「きっと誰かがやってくれる」「その時にまた大きく解こう」とついつい後回しにしてしまいがち。
Issue を大きく解くために必要な、あるいはそれを促すための仕組みは、できるだけ早いタイミングに整えておいたおくべきです。時間が経つにつれて、今すでに認識している Issue もついても、この先新しく直面するだろう Issue についても、それらを解いたときに得られるリターンに大きな違いが生まれてくるだろうと考えます。
なんで今日こんなことを書いているかというと、ここ最近プロダクトの不具合の洗い出しや、その Issue 管理や整理をしていて、そろそろ実際に Issue を解いていきたいなと思い始めてたんですよね。(自分個人としても、わかりやすいアウトプット出したい気持ちも少しありました。
でも、いやちょっと待てよ、とあとから気づいたんです。これから、複数人で協力しながら不具合を直していくとなったときに、みんながどんどん Issue を大きく解いていくための仕組みが、まだ十分整っていないんじゃないかと。軽くやれる範囲でも、例えば CI やテストコードの実装環境をもう少し整えられるはず。まずはそれをやるのが先決なんじゃないかと。
もちろん Issue の重要度と緊急性によっては、こういった「先に仕組みを整える」選択肢をとれない状況もあります。目の前の Issue をさっと解くべきときもあります。でも、その選択肢をとることができるなら、なるべく優先的に選択したいなと思います。
常にこういう意思決定が正しいかどうかは、やってみないとわからない部分もありますが、選択肢の引き出しとして考えられるようになったのは、これまで Issue を少しでも大きく解こうと繰り返し考え続けてきた結果のひとつなのかもしれないな、とふと思いました。
おしまい。